管理人のTUBEファン暦とTUBEへの想い


私は就職を機に首都圏へ越してきましたが、幼少から大学までは関西に住んでいました。
実家は海まで3時間はかかる内陸。海といえば夏に数回行ける程度で
小さい頃から夏が来るのが待ち遠しく、それゆえに海に対するあこがれや
海に行ったときの何とも言えない開放感は格別なものがありました。

★中学時代
チューブをはじめて聞いたのは中1のとき。
近所(チャリで15分)に唯一あった小さなレンタルCD屋さんで当時アルバム人気No1として
並べられていた「湘南」を何となく手にし聞いてみて衝撃を受けました。
まず前田さんのその歌の上手さに驚き!そして緩急のある曲のすばらしさ!
中1と言えば思春期を迎えた多感な時期であり、私もさまざまな音楽をひっきりなしに聴いていましたが
他のアーティストとは次元が違うものを感じました。
 ※余談1:家族で車で出かけるときにはよく「湘南」のカセットテープを持参し家族にも聴かせていました。
   父はチューブの曲を聴いて「和田ア○コがえらく若い曲を出したものだ」と言いつつもいい曲だねえと関心。

チューブとはいったい何者ぞや?ということですぐに「TUBest」をレンタルしこれまた衝撃。
ここからが私をチューブファンとして不動ならしめたはじまりだったと思います。
 ※余談2:当時はチューブ=波の空洞部分という意味があることを知らず、「TUBest」のパッケージ写真が
   タイヤ(チューブ)を持った4人が並んでいたため、「この人達は車好きなんだ」と勝手に思っていました。

その後、「湘南」から少し前に遡ってみようということで「N・A・T・S・U」「SUMMER CITY」のアルバムを購入。
それでまたまた衝撃。もうこの時点ですでにチューブ中毒レベルの域に入ったといえるでしょう。


★高校時代
高校は男子校でした。当時はイングウェイやハロウィン、ボンジョヴィといった洋楽の
ヘビメタやハードロックが流行っておりギターを弾くものは皆「早弾き」路線に走ったものです。
しかし私も含めそんな野郎達も多くがヘヴィな洋楽を聞きつつも邦楽ではチューブだけは聞いており、
男くさい洋楽を聞きつつも爽やかなチューブをこよなく愛するといった何とも不思議な状況にありました。
こういった状況にあったのは私のチューブ布教活動の影響も大きかったのですが、
チューブの爽やかな男くささが男くさい男子校で過ごす我々の心を捉えたんだろうと思います。
また、私もギターやベースを弾きバンドを組んでいましたが、ギターを手にとって初めて春畑さんの偉大さに
気づいたのもこの時期でした。


★大学時代
大学になると当時カラオケが流行りだした時期であったこともありますが、飲み会・同窓会など何かにつけて
カラオケに行く機会が増えました。私の十八番はもちろんチューブ。はじめて行ったカラオケでは
曲の本にやたらとチューブのページが多いことに驚きを感じるとともに少し自慢気であったことを覚えています。


★就職後
前述のとおり、就職後は首都圏で過ごすことになりました。
それまで就職活動でしか首都圏に来たことがなかったのですが、首都圏に来て真っ先にしたいことがありました。
それは湘南に行くこと(仕事で首都圏に来たのに仕事が関係してないやんけ!)。
家族旅行は予算と休みの都合上そうそう何回も行けるものではないので嫁を説得のうえ夏の旅行を湘南に決定。
車で嫁を連れてその夢を実現させることができました。もちろんチューブを聞きながらのドライブは最高でした。至高のときとでも言うのでしょうか。

就職すると当然ながら学生時代とは違い、かなり年上の方とカラオケに行く機会もあります。
相変わらず私の十八番はチューブですが、私がチューブを歌っていると「俺も歌えるぞ」と40歳から50歳くらいの方が
「シーズン・イン・ザ・サン」や「リメンバー・ミー」をさぞ気持ちよさそうに歌うのには正直驚き、
改めてチューブの認知度と人気の高さを思い知ったのでありました。

今は仕事と家族を大切に過ごす日々ですが、私の青春時代を心から支えてくれたチューブに感謝するとともに
今後もずっと応援し続けたいと思います。      

2005/11/5 TUBE My Love 管理人tak

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